【深谷・旧煉瓦製造施設】東京駅のレンガは深谷産!ホフマン輪窯6号窯・煉瓦資料館を見学してきた

旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯6号窯内部2

深谷市は明治から昭和にかけて、煉瓦製造が盛んに行われていました。

現在、煉瓦製造は行っていませんが、日本煉瓦製造株式会社の工場跡地「旧煉瓦製造施設(旧事務所・旧変電室・ホフマン輪窯6号窯)の見学が可能です。

MEMO
ホフマン輪窯6号窯は、保存修理工事中のため2021年現在は見学できません。工事終了は令和6年(2024年)頃の予定です。煉瓦史料館は通常通り公開しています。

旧煉瓦製造施設とは

1886年(明治19年)頃、政府は東京・日比谷周辺に西洋風煉瓦造りの官庁街や鉄道整備を推進していました。

そこで深谷市出身の実業家渋沢栄一らに煉瓦工場の建設を要請したそうです。

旧煉瓦製造施設入口

深谷市に煉瓦工場を造った理由は、深谷の土地が煉瓦造りに適した良質な粘土が採れること、利根川から舟で東京方面へ煉瓦の運搬が見込めること等を考え決定されたそう。

そして、1888年(明治21年)に煉瓦製造施設が完成。まずは事務所や最新式の「ホフマン式輪窯」1号を完成させ稼働開始しました。

最盛期には6基の窯を稼働させていたという巨大な煉瓦工場でした。

旧煉瓦製造施設の見学について

旧煉瓦製造施設の場所は深谷市上敷免(じょうしきめん)。JR高崎線深谷駅から北へ約4km、車で約20分でした。

深谷市浄化センター

道路を挟んだ「深谷市浄化センター」もかつては日本煉瓦製造株式会社の敷地。相当大きな煉瓦工場だったことが分かります。

見学時間・料金

旧煉瓦製造施設看板

旧煉瓦製造施設では見学ができるのは土曜と日曜のみ、平日はお休みです。時間は9:00〜16:00。料金は無料です。

旧事務所を見学

煉瓦製造施設の事務所として使われていた「旧事務所」は1888年(明治21年)に建設。

完成当初は工場の建設や煉瓦製造の指導担当であったドイツ人煉瓦技師チーゼの住居兼事務所でした。

当時の深谷では外国人が珍しかったため「異人館」「教師館」と呼ばれていたようです。

旧煉瓦製造施設旧事務所外観
旧事務所の外観

建物の基礎部分は煉瓦でできており、木造平屋建て瓦屋根の西洋風建築です。

チーゼのドイツ帰国後は会社の事務所となり、1978年(昭和53年)からは煉瓦資料館として利用されています。

旧煉瓦製造施設旧事務所入口

内部の天井と壁は漆喰塗り、床は総板張り。内部の壁やドアなどは当時の状態です。

旧煉瓦製造施設旧事務所展示室

煉瓦工場で働く人の写真や実際に造られた煉瓦が展示されています。

旧煉瓦製造施設旧事務所模型

最盛期の労働者数は1,000名以上。工場の周りには労働者や家族が住む寮、子どもが通う保育園が建てられ、ひとつの街になっていたそうです。

旧煉瓦製造施設旧事務所れんが製造所マップ

江戸時代後期から大正時代にかけての「れんが製造所マップ」も。煉瓦は全国各地で製造・使用されていました。

深谷で製造された煉瓦は、東京駅、日本銀行旧館、東京大学、赤坂離宮など有名建築に使用されています。

旧煉瓦製造施設旧事務所裏
旧事務所nのの廃線の跡

当初、煉瓦は舟で東京へ運んでいました。工場の北を流れる小山川から、利根川、江戸川、隅田川を経由し届けたそうです。

1895年(明治28年)には工場から深谷駅までの約4.2kmを煉瓦を運ぶための専用線が開通。深谷駅から各地へ列車で煉瓦を運ぶようになります。列車の線路は旧事務所の建物のまであり、現在も貴重な廃線の跡が残っていましたよ。

工場から深谷駅までの途中に架けられた鉄橋が「備前渠鉄橋」。ポーナル型プレートガーダー橋として現存する日本最古の鉄橋です。

旧変電室

1906年(明治39年)に深谷市内で初めて電灯線を引き、変電室として利用した建物。旧事務所の裏に建っています。

旧煉瓦製造施設旧変電所

外観のみの見学で内部には入れません。

間口5.83m、奥行4mの煉瓦造の平屋建て、切妻屋根、コロニアル葺。内部の壁は漆喰塗り、床は板張りです。

ホフマン式輪窯6号の見学

最後に、ホフマン輪窯6号窯の見学です。

「ホフマン」って何のこと?と思っていたのですが、ドイツ人技師ホフマン(Friedrich Hoffman)が考案したことから名付けられたそうです。

旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯6号窯入口

日本では明治初期以降、各地にホフマン窯が建設され煉瓦製造が発展していきました。

時代の流れとともに煉瓦の生産は減少し、現在、ホフマン輪窯の遺構が残っているのは全国で4基だけ。

栃木県野木町、京都府舞鶴市、滋賀県近江八幡市、そして埼玉県深谷市「ホフマン輪窯6号窯」の4基です。

旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯6号窯全体
現在はトタン板で囲まれたホフマン輪窯6号窯

「6号窯」ということは、かつては1号窯から5号窯も存在し、同じように日本煉瓦製造株式会社の敷地内に建っていました。

1号窯は1888年(明治21年)に完成。約20年後の1907年(明治40年)にホフマン輪窯6号窯が建設され、1968年(昭和43年)まで約60年間稼働していました。

ホフマン輪窯6号窯は、3階建ての木造の覆屋木造で覆われており、今よりも更に大きな建物だったと痕跡調査で判明しています。1階は窯焼き、2階は投炭と乾燥、3階は乾燥に使用していました。

旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯6号窯への入口
ホフマン輪窯6号窯の見学入口

稼働停止後に覆っていた木造部分が取り壊され、トタン板で囲んだ形に縮小されています。

近年、保存修理工事を始めるにあたり深谷市が痕跡調査を実施。窯の周りを覆っていた覆屋の柱や外壁の基礎部分が確認され、本来の覆屋の規模が明らかになってきたそうです。

ホフマン輪窯6号窯ヘルメット

ホフマン輪窯6号窯の内部の見学は、深谷市職員さんの解説付きでした。窯の内部に入るためヘルメットを装着します!

旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯6号窯内部2

輪窯は長さ56.5m、幅20m、高さ3.3mの煉瓦造り。上から見ると陸上競技場のトラックのような形で、ぐるりと一周つながっています。

稼働時は煉瓦を運搬するため全体にレールを敷き、トロッコで運んでいたそうです。今も黒いスス残り、煉瓦を焼いた痕跡がみえます。

旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯6号窯内部1

窯は18の小部屋を連結し、各部屋で窯詰め・余熱・冷却・窯出の工程を行ったそう。約半月をかけて順次煉瓦を各部屋に移動し、窯を一周していたとの説明でした。

当時の面影が残る薄暗い窯の内部はひんやりとしてタイムスリップしたような空間です。

旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯6号窯西側

内部見学後は外へ出て、窯を覆っていた覆屋の痕跡調査を見学。

旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯6号窯痕跡調査1

覆屋の柱や外壁の基礎部分が確認できます。残念ながら建設時の正確な図面は残されていないため、詳しい調査には時間がかかるそうです。

旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯6号窯痕跡調査2

深谷の歴史に驚くことばかりの貴重な見学でした。

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