【旧煉瓦製造施設】深谷市の観光スポット。ホフマン輪窯6号窯を見学してきた

旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯6号窯内部2

深谷市は明治から昭和にかけて、煉瓦の製造で栄えた街。現在は煉瓦の製造は行っていませんが、日本煉瓦製造株式会社の工場の跡地「旧煉瓦製造施設」を見学することができます。

煉瓦製造に関連した施設や建物「旧事務所」「ホフマン輪窯(わがま)6号窯」「旧変電室」「備前渠鉄橋(びぜんきょてっきょう)」の4点は、平成9年5月に国の重要文化財に指定されているほど。

私、生まれも育ちも深谷の近くなんですが、深谷で煉瓦が製造されていたことを最近まで全く知らなかったんですよね・・・。そもそも「ホフマン窯」のホフマンってなに?という状態で。

そんな疑問を解決するためにも「旧煉瓦製造施設」へ行ってきましたよ。

旧煉瓦製造施設とは

1886年(明治19年)頃、政府は東京・日比谷周辺に西洋風の煉瓦造りの官庁街や鉄道整備を推進していました。当然、煉瓦を大量に生産する煉瓦工場が必要になります。

そこで政府は、日本煉瓦製造株式会社や深谷市出身で実業家として活躍していた渋沢栄一らに要請し、煉瓦工場の建設話が進められたそうです。

渋沢栄一は出身地である深谷が煉瓦造りに適した良質な粘土が採れること、利根川から舟で東京方面へ煉瓦の運搬が見込めることを考え、深谷の地に煉瓦工場を建設することが決定。

そして、煉瓦製造施設が1888年(明治21年)に完成。まずは事務所や最新式の「ホフマン式輪窯」の1号が完成し、稼働開始させました。

最盛期には6基の窯を稼働させていたという巨大な煉瓦工場でした。

旧煉瓦製造施設入口

旧煉瓦製造施設があるのは、深谷市上敷免(じょうしきめん)。JR高崎線深谷駅から北へ約4km、車で約20分でした。

深谷市浄化センター

県道を挟んだ向かい側に建つ「深谷市浄化センター」もかつては日本煉瓦製造株式会社の敷地。相当大きな煉瓦工場だったことが分かります。

旧煉瓦製造施設看板

旧煉瓦製造施設では見学ができるのは土曜と日曜のみ。平日はお休みです。時間は9:00〜16:00で見学料は無料です。

「旧事務所」「旧変電室」「ホフマン輪窯6号窯」の3か所を見学してきたので、紹介していきます。

旧事務所

1888年(明治21年)に建設された旧事務所は、最初は煉瓦工場の建設や煉瓦の製造指導を担当したドイツ人煉瓦技師チーゼの住居兼事務所でした。

当時の深谷では外国人が珍しかったので、地元の人々からは「異人館」「教師館」などと呼ばれていたとか。

旧煉瓦製造施設旧事務所外観

木造平屋建て、瓦屋根の西洋風の建物で、外壁の基礎は煉瓦でできているのが分かります。

チーゼがドイツへ帰国した後は会社の事務所になりましたが、1978年(昭和53年)からは煉瓦資料館として使用しています。

旧煉瓦製造施設旧事務所入口

内部の天井と壁は漆喰塗り、床は総板張り。内部の壁やドアなどほとんど当時の状態です。

旧煉瓦製造施設旧事務所展示室

煉瓦工場で働く人の写真や実際に造られた煉瓦が展示されていて、当時の様子が垣間見れます。

旧煉瓦製造施設旧事務所模型

最盛期には煉瓦施設で1,000名以上の人が働いていました。工場の周りには労働者や家族が住む寮、子どもが通う保育園が建てられ、ひとつの街になっていたそうです。

旧煉瓦製造施設旧事務所れんが製造所マップ

江戸時代後期から大正時代にかけての煉瓦の製造所マップを見ると、煉瓦は全国で製造され、各地で使用されていたことがわかります。

深谷で製造された煉瓦は、東京駅日本銀行旧館東京大学赤坂離宮などに使用され、今も残る有名建築ばかり!

そういえば、友人からこんな話を聞いたことがあったな・・・。

友人

東京駅の建物の煉瓦って深谷で造られていたらしいよ・・・!
え〜あの有名な東京駅の煉瓦が!?違うでしょ・・・

にな

当時高校生だったんですが、深谷で煉瓦が製造されていたことなど知らず。友人の勘違いだと思ってしまったんですよね。勉強不足でした(汗)

旧煉瓦製造施設旧事務所裏

煉瓦工場が建設された当初は煉瓦は舟で東京へ運ばれていました。工場の北を流れる小山川から、利根川、江戸川、隅田川を経由し運んでいたそうです。

1895年(明治28年)には工場から深谷駅までの約4.2kmを煉瓦を運ぶための専用線が開通。深谷駅から各地へ列車で煉瓦を運ぶようになります。列車の線路は旧事務所の建物のまであり、現在も貴重な廃線の跡が残っていましたよ。

工場から深谷駅までの途中に架けられた鉄橋が「備前渠鉄橋」。ポーナル型プレートガーダー橋として現存する日本最古の鉄橋です。

旧変電室

1906年(明治39年)に深谷市内で初めて電灯線を引き、変電室として利用した建物。旧事務所の裏に建っています。

旧煉瓦製造施設旧変電所

内部には入れません。外観のみの見学です。

間口5.83m、奥行4mの煉瓦造の平屋建て、切妻屋根、コロニアル葺。内部の壁は漆喰塗り、床は板張りです。

ホフマン式輪窯6号

そして、ホフマン輪窯6号窯の見学へ。特に楽しみにしていたのが、このホフマン輪窯内部の見学でした!

最初にも書いたとおり「ホフマン」って何のことか分からなかったんですが、ドイツ人技師ホフマン(Friedrich Hoffman)が考案したことから「ホフマン窯」と呼ばれているそうです。

なるほど・・・もう絶対忘れない。

旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯6号窯入口

明治初期以降、日本各地にホフマン窯が建設され、煉瓦を製造し続けてきました。しかし、時代の流れとともに煉瓦の生産は減少し稼働を停止。

ほとんどのホフマン輪窯は取り壊され、現在、ホフマン輪窯の遺構が残っているのは全国で4基だけ。4基のうちのひとつが、深谷市の「ホフマン輪窯6号窯」なんです。

他に残されているホフマン輪窯は、栃木県野木町、京都府舞鶴市、滋賀県近江八幡市にあります。

旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯6号窯全体

「6号窯」ということは、かつては1号窯から5号窯も存在し、同じように日本煉瓦製造株式会社の敷地内に建っていました。

1号窯は1888年(明治21年)に完成。それから約20年後の1907年(明治40年)にホフマン輪窯6号窯は建設され、1968年(昭和43年)まで約60年間稼働していました。

ホフマン輪窯6号窯は、3階建ての木造の覆屋木造で覆われており、今よりも更に大きな建物だったことが痕跡調査で分かっています。1階は窯焼き、2階は投炭と乾燥、3階は乾燥に使用していました。

旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯6号窯への入口

稼働停止後に、覆っていた木造部分は取り壊され、現在は窯をトタン板で囲んだ形に縮小されています。

その後、保存修理工事を始めるにあたり、深谷市が痕跡調査を実施。窯の周りを覆っていた覆屋の柱や外壁の基礎部分が確認され、本来の覆屋の規模が明らかになってきたそうです。

ホフマン輪窯6号窯ヘルメット

ホフマン輪窯6号窯の内部の見学は、深谷市の職員の解説付きでした。窯の内部に入るので、安全のためヘルメットを装着します!

ファブリーズが用意されているので、ヘルメットの衛生面や匂いが気になる方は使うといいかも。

ヘルメットを被って一気に探検気分。ドキドキしながら輪窯の中へ入ります・・・。

旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯6号窯内部2

窯の内部はひんやり。この場所に煉瓦を積み上げて焼いていたそうです。煉瓦を焼いた時にできた黒いススがはっきりと見え、当時の名残を感じます。

輪窯は長さ56.5m、幅20m、高さ3.3mの煉瓦造り。全体図は陸上競技場のトラックのような形で、ぐるりと一周つながっています。窯の奥まで煉瓦を運ぶために、レールを敷いてトロッコで運んでいたそうです。

窯は18の小部屋を連結し、各部屋で窯詰め・余熱・冷却・窯出の工程を行ったそう。約半月をかけて順次煉瓦を各部屋に移動し、窯を一周していたとの説明でした。

旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯6号窯内部1

当時の面影が残るトンネルのような窯は、タイムスリップしたかのような、ノスタルジックで不思議な雰囲気があります。昼間はいいけど、夜は怖そう・・・。

旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯6号窯西側

内部見学後は外へ出て、窯を覆っていた覆屋の痕跡調査を見学します。

旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯6号窯痕跡調査1

覆屋の柱や外壁の基礎部分が確認できます。残念ながら建設時の正確な図面は残されていないため、詳しい調査にはまだ時間がかかるそうです。

旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯6号窯痕跡調査2

旧煉瓦製造施設を見学し終えて、深谷市と煉瓦の歴史に驚くことばかり。こんな貴重な文化財が残っているんですね。

2019年から旧煉瓦製造施設一帯の文化財は長期の保存修理期間に入るそうです。

ホフマン輪窯6号窯、旧事務所、備前渠鉄橋の全て修理が完了するまでは、8年の予定とのこと。今のうちに見学しておくのがいいかもしれません。

旧煉瓦製造施設 施設情報

  • 住所:埼玉県深谷市上敷免28−10
  • 電話:048−577−4501(深谷市教育委員会文化振興課)
  • 見学日時:土曜・日曜の9:00〜16:00(入館は15:00まで)